猫がきて1週間経った。
忙しい1週間経った。
先週の水曜日に猫を迎えて1週間。もう何日も一緒に居るような気がしている。
つまり感覚的には長く一緒に生きてゆけることになる。
初日からベタベタと甘えてきたと思いきや、徐々に我儘に、本能のままに行動するさまを見せてくるようになった。
最初甘やかされたと思いきや急にキツく当たられるこの感覚、身に覚えがある。
確か、中学の部活の体験入部と、入社3ヶ月の試用期間。これに似ている。
それでも猫が愛おしいのは、言葉が通じないところにあると思った。
嘘でないとわかるから疑う必要がなく全信頼をおける。
オルカは撫でてやらないと飯を食わなかったり、1日に6回もうんちをしたり何かと予想外な出来事が多く、一緒にいて飽きない。
本能剥き出しで暴れまわっても、ふとんを被せて一緒に寝るとスヤスヤ寝息をたて始める。
体は平均に比べるとずいぶんと小柄ではあるが、少しは大きくなってきた。とりあえずの目標は2kg。
猫の成長速度を調べてみたところ、3年後におれたちは同い年になるらしい。
お互いどんな中年に成長しているか楽しみだ。
困ったこともある。
乙一の平面いぬのように、おれの頭の中にまで猫が住み着いてしまったことだ。
何をやっても猫のことが浮かんでくる。
物語を考える上で、これは非常にまずい。
結局締め切り当日になり、心を鬼にして泣きながら酒を飲みながらなんとか脚本を書き続けて初稿が完成した。
1週間程度寝かせてから推敲しよう。
今月中に次の作品のログラインを完成させたい。
宮藤官九郎大先生が、「脚本を書くたびに自分の中の言葉を失う感覚に陥る」とエッセイか何かで語っていて、思い当たった。
おれもひとつ作品を書き上げると、まったく何も浮かんでこなくなり、再浮上するまでに時間がかかる。
失った言葉たちは、人と会話したり、ぼんやりテレビを眺めたり、映画や本でインプットして再び掬い上げる作業が必要だ。
しかし、インプットするぞ!と意識することは少ない。
おれは義務が極端に苦手だからだ。
勉強も趣味も、やりたい事がやるべきことに変わった途端に焦燥感に駆られて食事も睡眠もままならなくなる。
だから義務になりそうだと感じたらなるべく避けるし別の方法を考える。そうやって騙し騙しやってきた。
何が言いたいかというと、次の作品は全編ニャーニャーと書くことになりそうだ、という自分への言い訳である。